こんにちは
うめころです

今回は食事編の肝となる
私の今までの食生活を振り返りたいと思います

結果だけ申し上げますと

凄惨極まりない結果でした

自分でよくわかってはいましたが
心療内科卒業後の薬の離脱症状を越えて
安定してきた辺りから食事を意識しようと考え
食べるものに気を使い出したのですが

それ以前がまあ酷い

惜しげも無く綴っていきましょう

うめころは上京するまではほぼ実家で過ごしていました
上京する少し前に友達数人とルームシェアをした事もありますが
それ以外はずっと母の愛情たっぷりの手料理を食べていました

父が冷凍食品やジャンクものや外食を嫌い
家族みんな揃って食事をする事を良しとした人だった為
かなりバランスの良い食事を摂れていました

それはもう肉も魚も野菜も満遍なく

しかし
私は唯一肉の脂身や脂の乗った魚が苦手で食べられません

うちは食に関してはとても厳しかったので
好き嫌いは許されず
食べれないなら食事抜きと言われて泣く泣く食べていましたが

毎回あまりに調子を悪くするので
母が見兼ねて肉の脂身だけは許してくれました

原因はわかりませんが
肉の脂身や脂の乗った魚を食べると

少し汚い話なのですが
強烈な吐き気をもよおしてしまうのです

子供の頃は堪えきれずに何度もトイレに駆け込みました

挽肉にしたりくさみを消し加工されたものは平気なので
ハンバーグ、餃子、ハム、ソーセージ、サラミ
そぼろご飯は大好物です

おそらく脂の臭いやくさみに対して過敏になってしまうのでしょう
そして一度に大量の動物性の脂を摂ると胸焼けを起こすので
アレルギーとまでは行きませんが
脂を分解する消化酵素が人より弱いのかもしれません

天ぷらやコロッケなどの脂ものは平気なので
植物性の油はまだ大丈夫なのでしょう

その為一時期母が大好きで買ってきていたバタークリームのケーキは胸焼けが酷くてとても食べられませんでした

それが自分の誕生日ケーキとして出てきた時の絶望ったらなかった

ギャン泣きしながらふつうの生クリームが良いと主張して母を困らせた記憶があります

それ以外は牡蠣や雲丹や白子やイクラやレバーやセロリなど
食べれなくはないけど苦手なものは少しある程度

概ね摂るべき栄養素は補完していました


外食は一月に数回程度
大好きなファミレスはたまに行くくらいで
父の好きな和食が中心でした

そして父が釣り好きで
小型ながら船も持っていたので
シャコや渡り蟹やカワハギやカレイやトリ貝などなど
新鮮な魚介類をそれこそお腹いっぱい食べさせてもらっていました

子供の頃は父が魚を手際よく捌くのを興味津々で見ていたものです

それが
成人して仕事に行くようになってから
私の食生活は乱れに乱れまくりました

自分のお金が入るようになったしお酒も解禁となれば

家庭料理よりも味付けの濃い外食に強い魅力を感じてしまい
ついつい友達と飲みに行ったりする回数が増えました

父が亡くなってからは
それが更に加速します

母の手料理を食べる機会はどんどん減りました

特にその頃のうめころは
隔週で夜勤もしていたので
昼勤の時はちゃんと家でご飯を食べていましたが
夜勤の時は
家族との時間が大きくずれてしまう為
晩御飯のみ母の手料理を出勤前に食べて
夜食はほぼ毎日菓子パンでした

そして夜勤を終えて朝帰ると一人なので
ついつい手軽で美味しいカップラーメンやカップ焼きそばを食べてシャワーを浴びて眠る

間食にポテトチップスやチョコレート菓子は鉄板で
夜勤の週は毎日お菓子とカップ麺と菓子パンで生活していました

そして
友達とルームシェアをした時は
一緒に住む友達全員かなりのリア充で
ほぼ毎日外食三昧
食卓をみんなで囲んだ記憶はあまりありません

あの頃は何故か
家でご飯を食べるなんてダサいとすら思っていました
予定のある自分がかっこいいと思っていたので
まるでスケジュールの多さをお互い競い合うかのように平日の夜も休日も外で誰かと過ごしていました

別に仲が悪いわけじゃないのですが
今思うととても奇妙な感覚でした

なので
当然外食メインになり
大好きなマックやケンタッキーやファミレスや居酒屋でカロリーの高い味の濃い脂ぎった食事が中心になりました
たまに家で食事をする時はコンビニ飯です
お菓子はもちろん毎日食べていました

そして上京して念願の一人暮らしを始めたのが今から約8年前

長くなったので続きます

続く